教育データ活用新時代
― 一人一台デバイス時代の教育 ―
文部科学省初等中等教育局  
  学びの先端技術活用推進方策室
 桐生 崇 室長
 皆さん、こんにちは。
 ただ今、ご紹介いただきました。文部科学省初等中等教育局学びの先端技術活用推進方策室の桐生でございます。
 今日は、教育データ活用新時代と題しまして、これから起こりうる姿を皆さんにお話しさせていただきたいと思いますし、またご意見を頂き議論したいと思います。

 普段ねこのようなお話をさせていただく場合、ICTって何ですか、データって何ですかという方がほとんどなのですが、今日は、普段から取り組まれていて、一定の成果をご存知の方々と伺っていますので、総論部分ですとか、前段の部分を大幅に削らせていただいて、今、構想段階にあるものとか、今、検討中のものを含めて、こういったことが議論されていて、こういった姿になるのではないかというようなことをお話させていただければと思います。
 ちなみに、私は、この2019年3月までパリにあります、OECDの日本政府代表というところに三年間勤務していました。 PISAのデータやTALISなど国際データ比較をやっている国際的な教育に関するデータを集めて、国際比較ができるような形にして、各国の姿を浮き彫りにしていこうという取り組みがOECDでなされているのですが、そこにおりまして、PISAやTALIS、それ以外の先端データをどのように取り扱うか、ということを仕事でやっていました。
 
 4月より文部科学省に帰ってきて、初等中等局の企画官として勤務しています。企画官とは、何でも屋で、いろいろな課の特命事項ですとか、色々な課の横断的な仕事をしています。
 今、学びの先端技術活用方策室で、デジタルワールドに移行した時の先端技術をものとか、データをどのように活用していくのか、というような仕事をする部署ができきました。私は、そちらで室長を兼任しておりまして、こちらの仕事をメインでやっています。
 デジタルワールドに移行した後の教育の姿というものをどういうふうに描いていこうかという、まさにホットトピックのところです。
 ちなみにパリに住んでいましたが、日本食を食べていました。99%和食でした。フランス料理はほんの少しでした。仕事では、フランス料理を食べましたが、普段はほとんど和食でした。
 さて、「VUCA World」という言葉を聞いたことがあると思うのですが、今、世界の動向を見る時に、必ず出てくる言葉です。
 OECDでも教育に限らず、金融ですとか、世界経済、雇用という話をする時に、枕詞のように出てくる言葉です。
 ほぼ共通のこれからの世界を占う上でのキーワードになっています。
 内容は、こちらに示しているとおり、VUCAとそれぞれの頭文字を取っているだけなのですが、変動性があり、不確実性があり、複雑性があり、曖昧性がある。では、結局何なのか。
  将来を見据えた場合に、わかっている事とは、変化が確実で、しかもそれがよくわからないということだけ、それだけが分かっていて、それがどのように変わるかということは、分からないというのが、世界の形なのだということです。そしてそれが、世界の共通認識だということなのです。
 したがって経済の見通しも、変わることはわかっている。しかし、どのように変わるかは、例えばAIを使って、労働がどのように変わっていくか、ということは、変化はわかっているけれども、それがどのように変わるか、それ自体は、予見できないということが、世界経済、世界全体を眺めた時の共通認識なのです。
 これまでも世界の見通しというのは、語られてきました。変化の多い時代というのは、世界共通なのです。これまでも、いつもいつも変化の多い時代だったのです。ただ、これほど、先が見通せない時代という時代というのは、珍しいことなのです。
 世の中は、 一寸先は闇で、しかも、いろいろな理由があるということでは、、この「VUCA World」の特色なのです。
 従いまして、教育行政、学校、こういった世界に生きる将来の子どもたちは、どのようなことが求められるのか。 というようなことを逆算して考える時に、今の指導要録ですとか、学校、市町村、それから塾や家庭学習もそうなのでしょうけれども、その何を目指していくのかという姿というところから、逆算して考えることが必要だということです。
 
 ソサエティー5.0という社会、日本政府が良く使っているパワーポイントなのですが、こちらは、先ほどの「VUCA World」と違って、日本固有の言葉です。
 ソサエティー5.0という言葉は、外国では使いません。
 「VUCA World」は世界共通の言葉です。
 ソサエティー5.0は日本政府が定義している言葉です。
 外国では使えないのですが、いっている意味は、ほぼ一緒です。何が一緒かというと、世の中がどんどん進展してきて、バージョン4.0まで進展してきている。情報化社会までは実現してきている。
 パーション5.0までは、住み込みつつあるけれども、まだ実現していない。
 4.05.0は、何が違うのか、ということがポイントなのです。4.0と5.0は、一見すると、情報を使っているので、同じではないかと思われるのではないかとしれないのですが、4.0までは、情報へのアクセスが、みんな共通でできるようになるというのが目的なのです。世界で、情報にアクセスできる人が、みんなアクセスできる。アクセスできるかできないかというところを変えたのが、4.0なのです。いまでいう、インターネット、大規模なマスコミ報道というものに、4.0で我々、アクセスできないところはほとんどないわけです。
 世界共通にアクセス可能になった。というところまでは4.0なのです。
 5.0と何が違うのか。まず、情報の個別化、最適化というのが、1つです。情報というのは、我々がニュースを見る時に、同じものしか、見ることができなかったわけですが、最近少しずつサービスが進んできていますけれども、 関心のあるニュース。個別に、さらに深堀した情報。
 自分にとって必要な情報がやってくるだろうというのが、5.0の情報の在り方です。個別に最適化された情報だというのが、1つです。
 それから4.0までは、バーチャルワールドはバーチャルワールドとしていこう。向こう側にあるべきだとしていこう。要は、情報社会、インターネットと我々のリアルワールドの間に大きな川があったのです。
 ソサエティー5.0では、それがリアルとバーチャルがくっついている時代といえましょう。
 情報が1対1で対応して、情報を受け取ったものがそのまま動いていく社会と言えます。。
 情報が単に情報としての価値があるのではなくて、1つのことばでいうと、IOTという言葉がありますし、様々な言われ方をしますけれども、それぞれのものやコトの中に、すでに情報が入っていて、そこから情報を取って、そこから我々がとって行動を決めていく際に、必要な情報がとられるし、我々全部、記録として残っていく。常に、その人にとっての行動が、最適化されたような形で、進んでいくだろうということなのです。
 今、家電でも結構入ってきていますけれども、マイノビ。この人が何時何分に帰ってきてというのが全部、記録されているので、帰宅する前に、エアコンも入り、その人が最適な生活を送れるようになる社会が5.0の社会になるのです。このように、今は端境にいるという認識でいて、いろいろな施策を打っているのです。
  4.0と5.0で大きく我々が持っている像が変わっていくのは、おそらく、一人一人がこう言うふうに望みたいとか、こういうふうなことが幸せなんだというのが、4.0と5.0で、変わってくるのが一番大きなところだと思います。
 4.0までは、みんなが、こうほしいですよね、こう
ですよね、というのが、みんな、それがいい社会、いいものなのだなっといっていたものが、5.0は、一人一人個別に追究していくものが、たぶん違ってくるような形で社会が構成しなおすだろうというふうな、今の価値観がだんだん分化していくだろうということを前提に組みたてていく政策であります。
 こちらの写真は、教育の機会ではどのようになるのか というのが、我々の考えなければならないことだとことであります。
 この写真をご覧になっていただくと分かるのですけれども、ここに限らず他の国で、特に北欧を中心として、すでに、我々の考えているソサエティー5.0に近いような姿というのを、結構やっているのです。
 そこは、デバイスがあるなしに関わらず、その根本の考え方自体が変わっていまして、一人一人の個の伸びる力、その力を伸ばすのには、どうやってやり方があるだろうかといったことが、姿として、今、繰り広げられているのです。
 これから、我々が考えなければならないのは、一人一台のデバイス時代になるので、デバイスを活用するのだけれども、結局のところ、どのように形で、この子どもの力を伸ばしていくのかということを最適化していくのか、今までの授業の展開、形でいいのでしょうか。また今までの教材の形でいいのでしょうか。根本が問われるのではないでしょうか、ということであります。
 さて、今回の主題であります世界の動向ですが、世界の中で日本はどうなっているか、よくご覧になると思うのですが、OECDの国際比較データの中(OECD生徒の学習到達度調査 PISA2015年調査国際結果報告書 生徒のwell-being(生徒の「健やかさ・幸福度」2017年4月 国立教育政策研究所)にあります。横軸が「余暇のためのICT利用」、縦軸が「学校の中でICTを活用するか」どうか、というデータですが、日本だけ離れています。
 学校の教育課程内でも使っていないし、自由時間にも使っていないということで、遅れているのです。周回遅れでいるというよりも一人だけ離れ小島にいるという感じなのが、このテータを見ると分かると思います。
 大幅に遅れているからやるのではなくて、右上にいるのが普通であって、先ほど述べたように情報化が必要というよりも、世界の中で生きていって、自分で情報を得て、社会とつながって世界の中で生きていくためには、情報化処置が必要なのです。
 これは、先ほど述べたソサエティー4.0までも行っていない状態なのです。
 少なくとも中身を使いこなしていくというのが、ソサエティー5.0なのですが、その前段階ということなのです。
 こちらは、PISA2018、現状の情報提供として、お見せするものなのですが、つい先日オープンになりました。
 この中で、新聞報道でも出ていましたが、読解力だけが下がっているのです。
 PISAは、皆さん、ご存知だと思いますが、3年に一回やっている世界の15歳時点の学力を比較する調査です。
 読解力が下がったね読書が足りないと報道されているのですか、これは少し違っていまして、本を読むとか、読まないという話ですないのです。
 これは、今回の調査方法が大きく変わったからなのです。
 真ん中の横波線の左側は紙ベースでやっていました。
 波線から右側は、コンピューターを利用したテストになったのです。
 この時、下がったのは、普段コンピュータを使っていないので、コンピュータに慣れていない子が多いんじゃないかと言われたのですが、今回、下がったのは何が下がったのかというと、2015年と2018年では、読解力の方式が全く変わりました。
 2015年までは、我々が国語の問題とかにあります、テキストの中から、必要な情報を抜きだしたり、組み合わせたりというもが、2015年までの読解力の問題だったのです。
 2018年の問題は、かなりリアルワールドに近づいた出題になっているのです。
 何が出るかというと、いろいろなネット上のSNSとかを模したような文章が出てくるのですが、その中から何が本当で、何が違うかということを、自分なりに見付けて、仮説を求めながら、その中から真実が生まれるというようなことを聞いたりする。言ったりする。
 これは、我々社会の中で普通にやっていますよね。全部、受け身ではなく、全部本当かなって
例えば誰かのブログを見て、全部信用するわけではなくて、本当かなって思いながら、別のところで裏取りをしたりしますよね。
 そういった知識の活用能力といったものが、2018年に問われているので、それが追加になった。そしてそれがあったお陰で、下がったというのです。決して本を読まないとか、図書館に行かなくなったというのではなくて、そんなことに全然慣れていない。先ほどの一人小島のような話がありましたか、全然、使っていなければ、そんなことは出来るわけがないわけで、その力の差と受け取っていただいた方が正確なことだと思います。
 2012年から2015年は、そもそもPCを使っていない。2015年から2018年は、内容面においても各国のデータよりは、PCを使っていないわけですから、そういう点で落ちたということなのです。
 こういったことを踏まえて、今年の6月に、文部科学省で新時代を支える先端技術活用推進方策を出しています。これはPISA2018の結果が出る前から、ソサエティー5.0に対応した社会にしていかなければならないとして、攻めのタマとして、打ち出しているものです。
 ここは大きく3点の打ち出しをしています。
 まず、1つ目は、基盤としてまずPCがないじゃないかと言っている状況から、PC機器を入れていきますというのが、一番下の底支えの赤の部分の基盤となるICT環境の整備というのが、一つ目です。
 その上に、それを前提として上で、先端技術を活用した効果的な学びをしていこうということ、そういったデバイスや先端技術を使った学びしていくと取れるデータを使っていこう、ビックデータを取ったうえで、それをまた教育に戻していこう、その循環が、黄色と灰色の部分の循環できるような、そういう学びをしていこうということを、打ち出ししています。
 このことを通して、誰一人取り残すことなく、公正で個別最適の学びを実現していきたいというのが、全体のメッセージになっています。
 これまでの学校教育でも当然施行されてきたわけですけれども、現実に技術的には不可能です。一人の先生が何十人も相手にして、一人一人を見取って、全部それをフォローしながら個別最適の形で学びをしていくことは不可能なので、それを技術を使ってやっていこうというのです。
 技術があるから使うのではなく、そういった最終目標に向けて、今こそこういうことができるようになったということで、打ち出しているものであります。
 これを打ち出した後、急遽 状況が変わったのが、つい先週、閣議決定されたのですが、、補正予算を中で、安倍政権の経済対策の一つとして、ビックデータですとか、Aiですとか先端技術を活用していこうということで、それをすると経済対策にもなるということで、その一環として教育でも使っていきましょうとなり、内閣官房と総務省、文部科学省、経済産業省の合算して、今の環境を変えていこうという急遽、補正予算という形でまとまりました。
 (12月5日「安心と成長の未来を拓く総合経済対策」を閣議決定)
 ハードとソフトと指導体制に対して、国家予算をつけて整備していきましょう、ということになりました。
 特に大きいのがハード面です。一人一台のPCの実現をはかっていきましょうということで、一大当たり4.5万円を上限に補助して、令和5年度(2023年度)までに全国の国公立・私立の小中学校全員分の国庫補助をやっていきます。あわせて通信ネットワークの面でも補助していきます。これは小・中・高・特別支援、全部ですけれども、国公・私立、全てやっていきます。ただし1/2補助ですけれどもやっていきます。ということで、一人一台の端末環境、端末はタブレットでもPCでもよいとされています。端末環境と高速ネットワーク環境をこの4年間でいっきに整えていきましょうということです。
 これはかなり大きなことです。ここまで大きな予算がつくことは、これまでにないくらい取り組みが進められますし、世界各国を見ても公費で一人一台を実現しているところはあまりないのです。BYOD (Bring your own device)で、持ってきてくださいということで、学校や地域で一人一台環境を実現したところはありますが、公費で行うことは世界初になります。
 これまで遅れていたところが世界最先端のハード面になっていくといった状況です。
 こちらの名前が、GIGAスクールという名前です。(文部科学省GIGAスクール構想の実現のページ)
 global and innovation gateway for allというものの頭文字をとったものですが、ギガという単位でもあります。
 みんなにとつて世界に開けたイノベーティブなゲートであるというものを学校の中で構築していこうという事業であります。
 実際に自治体、個人の中でやられている方もいると思います。
 これまで地域間の比較とかは、紙で行われていましたが、データで行うこともできるようになります。
 比較の精度もアップします。どこかの学校だけが優れているのではなく、それが共有できて、高め合っていくことができるということが、より容易になって、すごく効果のあるものになるのだといえます。
 
 ちなみにこちらは、自治体向けの話ですが、半額は国庫補助になります。地方交付税という形で、国庫補助の裏打ちとして交付税措置もなされます。自腹で払うのは白い部分だけになります。
 だいたい2割負担で済むということです。ネットワークの構築についてです。
 端末は4.5万円まで全額補助になります。財政措置も講じているというわけです。
 これからの計画となっていますが、2023年までこちらを実施していきたいということです。
 ということでハードの整備は着々と動いていくわけですが、ここからがいよいよ先端技術とデータをどのようなやり方をやっていくのかということです。
 今日は2つの切り口からお話したいと思います。
 学習方法と制度仕組みの両面でアプローチしていく必要があると思います。
 
 私がうかがっている話ですが、一人一台が先行している私立高校では、結構あると伺っています。ただ、やり方がうまくないと、いわゆる文鎮化現象に陥ってしまっていると聞きます。タブレットが単に教科書を置く文鎮としか使われないという現象が起きているという現実があります。
 そういったことがないように、使っていかないと、これは意味がないですし、使ってもただ単に使うだけでは意味がないわけで、ではどのように使って、全国的な仕組みとしていくのか、ということをかんがえていきたいと思います。
 まず、学習方法ですが、現在、各自治体さんが取り組まれている教育データの質の向上ということです。
 データを使って、何をしているかということですが、スライドは、具体的なものを取りまとめているものです。
 ご覧になって分かるように、1つは可視化なのです。これまで見えなかったデータを見えるようにするのが、まず一つ大きな点です。
 もう一つは、その取れたデータから異常値、異常な部分であるとか、特異な点を見つけて、それをアラートという形で、発して、どのような行動を次にとればよいのか、個別の支援をしていく機能があるということが現在の中心です。
 今後も大きな役割として、データを取っていってそういったことになるのだと思います。
 いずれにしても、現場にとってすぐ役立つものというのにデータを活用していくというのが、すごく必要なわけです。
 こちらはすでに先行しているデータをツン買っているイギリスやアメリカの実践からみた報告書をさらに図式化しているものです。今年出されたイギリスの報告書を見ますと、40年間デジタル技術をやってきて、いろいろなケースをまとめたものがあるのですが、結局、デジタル技術、データをためて、ただ使うだけでは、はっきりいってほとんど意味がないという結論を出しているのです。
 デジタル技術を使うと、いろいろな効果が生まれるのです。やはり、何らかの方法論、教授論、学習方法というものに則っていかないと、デジタルを使おうと、デジタルを使う意味がないということなのです。
 ある程度の学習方法に則らないと意味がないと書いています。ただ。イギリスの報告書は意地悪なところがあり、効果的な学習方法は何かというと、詳細は言っていないのです。
 効果的な教授方法、学習方法はいろいろあると、まちまちではあるというのですが、ただ単にデジタルでデータを取っているだけでは意味がないと。紙でやっても関係がないというのです。
 というのが、専攻している諸外国の状況なのです。
 我々にしても、修正していきたいわけですが、効果的な学習方法、特に日本人に対して、外国の学習方法を日本も真似するかというと、おそらくそうではないでしょうから、日本の中で、大きくデータを取っていく中で分かっていく教授方法をどのようなものなのか。
 今でも先生方は体感でわかっていらっしゃるかもしれないのですが、あるのですが、ただ体感で分かっている部分と少し勘違いしている部分があると思います。
 現に実証されているところなのですが、この子、A君が議論の中心だと思っているのですが、データを取ってみると、A君は言いたいことを言っているだけで、他の教科の成績がいいので、その子はいい子だと思ったけれども、ちゃんとデータをとって発言の分布をみると、実は目立たないB君というのが、議論のキーになっていたということも、分かってくるわけなのです。
 先生方も、体感で分かっていることが、データとして裏打ちれる必要ですし、意外と勘違いされていることも実は違ったと思うこともあるということ、こういったことも検証していって、こういった形で、サイクルをまわしていくと、いいんじゃないのということをやっていかないといけないのだと思います。
 こちらを紹介したいと思います。この方法が、いいかどうか検証段階なのですが、内閣府の中でAIを研究をやっている部門があるのですが、その中で行われている事業です。
 鳴門教育大学さんも入っていると聞いていますが、藤村先生も絡んでいるとお聞きしています。
 マイクロスティックスケジューリング法というのですが、この方法は、これまで見えなかったような小さい単位での学びを全部可視化して、全てその効果を、どのようにフィードバックしていくのかというのを、大きな枠組みの中でやっているのですか。
 これによると、人間の脳というのは、本来、我々が思っている以上にすごい能力があって、1回、言ったことはそうそう簡単に忘れないし、ネイティブアクティブのところがあるのです。また、パッと見て一夜漬けで覚えるところがあるのだけれども、一夜漬けのところだけ、すぐ消えてしまって、短期記憶なので煮え切らないのですが、、しょうがないから煮え切れる部分をいかに効果的に増やしていくのかという研究しているのですが、それをデータを取ることにより、容易にできるようになる。しかも成績階層とされる部分も、この方法を使っていけば、確実にネイティブ部分というのは、向上していくことが可能なのであって、というような基礎的な心理学に基づいていて、紐付けて技術を応用していこうというものがあるのです。
 (参照:;岡山大学 大学院教育学研究科 寺澤孝文研究室)
 これに先立つ様々な学術的バックグランドをもとにデータを活用していくということがかなり進められていまして、文部科学省でもあちこちでいろいろと行われているのもいいと思うのですが、その中で特にいいものですとか、効果的そうだというものを、少しまとめていって、それをデジタルワールドの中で、活用していっていただきたいと考えているところです。
 このデジタルワールドの中で、今後注目を浴びそうものとして、ご紹介しておきたいのが、OECDの中にEducation2030プロジェクトというのがあります。
 これは将来2030年以降の教育の姿を世界各国の教育省の人ですとか、学校の先生、研究者が集まって議論した取り組みがありまして、この中で注目を浴びているのが、真ん中のどんなコンピテンシー(新たな価値を創造する力、対立やジレンマを克服する力、責任ある行動をとる力 )が必要なのかというのは、割とそうかなと思われるのです。
 少し特異なのが、左下の学習者のエージェンシーという言葉がありまして、何を得るかという知識とかは、必要なことは、変わっていくだろうから、必要な知識を定義することはすごく難しいだろうということで、何を学んでいくかは定義していないのです。恐らくそれは変わっていくし、子どもによっても必要になってくる知識というのは、違うだろうから、それを定義する必要はないだろうということなのです。
 その上で、コンピテンシー部分、どういった態度や力であればいいのかは定義したうえで、更に一番大事なのは、左下にある、学習者のエージェンシーというのが、これがなぜか、世界各国の色々なバックグランドの中から出てくる言葉で、未来の考えると共通して、大事だと思われることなのです。
 ではエージェンシーとは、何なのだろうと思いますけど、普通の辞書で調べると、主体性と書いてあるのですが、多分、主体性という言葉では弱くて、会議に出ていて、ディスカッションして思ったのですけど、日本語の大和言葉的にいいますと、たぶん、当事者意識というのがかなり近いと思います。何か外から来るものを学ぶとか、やらなければならないから学ぶというようなものではないのです。
 自分が関わりたいとか、自分のこととしてとらえるということが、今後の学ぶということに絶対必要なのだというのが、エージェンシーという言葉です。さらにティチャーエージェンシーとか、コーエージェンシーとか、とにかくエージェンシーづくめなのですが、教員は、教える側の集団として、教えなければいけないというのではなく、我がこととして、自分の主体性をもってやらなければいけないし、その学びの集団として、自分たちの我がこととしてとらえて、やっていく必要があるよねっという、1つの大きな言葉だといえます。
 日本の中では、新学習指導要領の中に3つの柱がありますけれども、知識・技能、思考力・判断力・表現力、学習意欲・学びに向かう力の中の学びに向かう力と似ているかもしれないのですが、要は、学びに向かう力といっても、ただ単に勉強したいから勉強しようというのではなく、モチベーションアッブということと違うと思うのです。
 リアルワールド、世界といかに自分は関わっているかのとをくっつけて考える必要があるのだと思います。
 もう一つ大きいのは、右上の看板がありますけれども、well-being という言葉です。ここも結構、大きなポイントかなぁと思います。ここも最後は、well-being をめざしていきますよということなのです。日本語に訳すと、幸福だとか、幸せだとか、という意味です。
 OECDってもともと経済のための機関なのです。要は、貿易額がどうであって、一人当たりのGDPがおおくなればなるほどいいなど、経済的価値やはかれる価値しか信じないとされてきたのです。お金とか、経済的価値が高くなることが国力なのだと定義している集団です。
 OECDは、日本国内において昔から教育業界から嫌われていました。
 なぜかというと、経済=実質優先主義だし、教育も労働者の養成のためのスキルとしての存在にしかすぎなくて、そのために市場が重要だといわれてきたという論調だったのです。その経済至上主義のOECDすら現在、well-being と言っているのです。
 これは、世界の方向が、教育だけでいっているのではなく、well-being という言葉はOECD全体の中で一番大きい標語となっています。
 経済や価値がはかれる一人当たりのGDPでないものを、各国とも求めるようになっているので、OECDの事務局も採用せざるるを得ない状況になっているのです。
 WELLBEINGは、今のところ、はかる手段がないのです。このようなことは、OECDとしてはすごい大嫌いなのです。これまでの議論では、「はかれいものは、ないものと一緒だ」としか言わなかったのですが、そのOECDですら、今回、well-being を打ち出してきています。
 やはり学校教育、教育の中で、今まではかれるもの、PISA調査で はかれるものであるとか、数値として換算できるものが価値だというものが、世界全体だと変わってきているのだと分かったのです。
 もともとユネスコですとか、国連ファミリーは理想的ですので、昔から一人一人に質の高い教育をと言ってきていたのですが、OECDとしては言ってこなかったのです。
 理想として、OECDは定義できないものは言わなかったのです。そのOECDですら世界全体が、政治リーダー、教育分野だけでなくて、経済分野、労働分野、環境面を含めてWELLBEINGを全志向していくのだというようになったのです。
 ただ、ここからがOECDらしいところなのですが、well-being を定義できる、はかっていこうというようにやっていこうとしているのです。
 つまり、世界的にwell-being なり、幸福なりというのが大きなキーワードになってきているのです。
 教育行政をみると、今までは、それって本当にどうやってやるのですかといわれてきたもののですが、政府では、はかれた全国学力・学習状況調査ですとか、全国調査ではかれるような学力・体力を含めて、生きていく子どもたちの包括的な幸福度を上げていくのだと、議論の中で出てきています。
 こちらは、OECDがまとめてきたものを国立教育政策研究所が翻訳しているものなのですが、生徒のwell-being を暫定的に定義しています。(国立政策教育研究所 生徒のwell-being )
 この中で、これまで、日本もそうですし、世界もそうなのですが、はかっていたものとか、あるいは認知的な能力なのです。
 生徒のwell-being とかいてある丸の中、認知的能力と書いてありますが、おそらくwell-being 全体でいうと、それはごく一部なものであって、心理的領域とか、社会的領域といった、今の言葉でいうと非認知能力とか、社会情動スキルというようなものがありますけれども、こういったものが、これからは大きな分野として象形化されていくだろうかなと思っています。これが今の動向かなと思っています。
 OECDでは真剣に社会情動スキルというのを、非認知能力とは認知でないものをすべて非認知能力といっているのです。非認知能力という大きな能力があるのではなくて、非認知というのは、認知以外のもの全部をさしているのです。
 OECDは、社会情動スキルSESを定義していますが、SESというのを定義し始めて、はかっていこうとしているのです。
 それそれで、各国から「そんなのは、全然できるわけがない」とか「はかれるわけがない」というような批判があるのですが、おそらくデジタル社会の中で、例えばはかれるところをはかって、認知的スキル以外のものもあげられるのならあげていけばいいのではないか、その支援する方法でうまいものがあればやっていけばいいじゃないか、というようなことが議論されています。当然、全部を数値化するのは無理ですし、全部を数値化するとは誰も行っていないのですし、おそらく日本の中では隠れていますけれども、今後の論点になっていくのだと思います。
 今のが教授方法とデータとの関連についてです。
 続きまして、制度仕組みとどのように連動させていくかということについて話を進めたいと思います。
 私がヨーロッパで車を利用していたのですが、データと仕組みということで思い出すのが、ETCについてです。
 高速道路で、かってにゲートが開いて高速道路料金が計算されてしまいます。実は、日本の技術が各国で使用されています。技術は一緒なのですが、他国にいくとゲートがないところが、かなり多くなっています。
 フランスはゲートがありましたけれども、ゲートがない国はヨーロッパ各地にあって、ないと便利なのです。
 なんでげーとがついているかというと、仕組みなのです。技術で考えると、日本でもゲートがなくてもできるのです。ただ日本の場合は、ETCを義務にしなかったのです。なので、ETCの搭載車と非搭載車が高速道路上で混在しているので、勝手に搭載していない車が通れないようにゲートを設けているのです。つまり、技術的には可能であっても、仕組みとしてゲートを設けているのです。
 国によっては、ETCを搭載を義務としていると、全ての車に積んであるのでゲートはいらなくなるのです。このように技術と仕組みがイコールではなくて、技術と仕組みは別物なのです。
 いつ、どのように仕組みとして使っていくかというのはものすごく大きな話になる訳です。
 
 
  
技術をどのように学校教育制度の中で使っていくかについては、2018年に文部科学省の中でも「Society 5.0に向けた学校ver.3.0」という構想の中で、データを使って、学びのポートフォリオをつくっていきましょうと。ここでいう学びのポートフォリオいう仕組みというのは、一人一人の記録を作ったうえで、フィードバック出来るような仕組みにちゃんとしていきましょうということが30年6月に出されているわけです。(Society 5.0 に向けた人材育成 ~ 社会が変わる、学びが変わる ~ 文部科学省)
 この構想にで、まだ形としては作られていない状況です。今は、ディスカッション計画で、いろいろな有識者の方から意見を頂きながら、ここに示したようなイメージで議論を進めていこうかなという段階になります。
 左側に学習者を置きまして、上に学校、下に民間事業者、右側に研究機関と考えています。そして真ん中にくるのが、スタディーログとして、一人一人のデータを何らかの形で記録をためていく場所と考えています。
 データというのは、おそらく使い方としては3つ考えています。
 1つは、児童自らが自分で振り返る。私たちが歩数計を使いますが、別にデータを取るために使うのではありません。歩数を自分で見て、今日は何歩歩いているなと確認するものです。
 つまり、自分で使って、自分で行動を解決するという使い方です。
 2つ目は、学校・教員が指導において使うのが一つ。事業者がデータを使って、指導のアプリやソフトを変えていくことにダイレクトに利用していく。
 つまり指導においてどのように利活用していくか。
 3つ目は、一番右側ですが、研究機関で利活用していく。ここまでいくと個人名は必要ないはずです。個人情報は必要なくて、大きな情報として、何年生の男性・女性で、こういった経歴があって、学習履歴が残っているというようなデータが大量にあると、初めてわかるようなことがあるのではないか。今後のビックデータの利活用は、全部のビックデータのではなく、この右側の部分になるのだと思います。
 現在、これを医療で始めています。医療の場合は、次世代医療基盤法という法律を作りまして、本人が拒否しない限り、医療情報を匿名化した上で集約されています。恐らく集約した情報で、Aという病気を持っている人は、何100万人、何1000万人という情報を集めると、多分Bという要因のリスクが高いだろうということが分かるようになるのです。
 それは個別に、お医者さんもこれまでの経験値もありますし、医療機器メーカーもそれなりのものがあるわけですが、全国民分のノウハウは持っていないのです。
 それが、今は、個人情報をのぞいた上で、ビックデータという形で集め、利活用できる状況になってきているのです。
 教育データも似たような形できると考えられまして、そのような個人情報をのぞいた形で集約した上で、新たな知見を引き出して、それをまた現場に還元していく、第三の使い方の仕組みを整えた上で、構築していきたいと考えているところです。ここまでいきますと、世界で最先端になると思います。データを大きな形で数万、数十万という単位で使っているところはありますけれども、何100万人、何1000万人という数のところはありません。
 こういったことができるかどうか、検討していきたいところであります。
  これはどういったイメージなのかということをイメージしたものなのですが、今までは左側のイメージで、デジタル教科書を教材提示とありますが、いろいろなソフトがたくさんあります。
 それぞれ細分化されていてデータのやり取りができない段階なのです。
 例えば、Aの教材が出て、Bの教材が出て、Cの教材が出て来てやろうという時に、Bの教材のデータはB固有のデータであって、Cには活かされない。
 学校を転校した時にも同様なことが起きてしまいます。
 上級学校に進学する場合、小学校から中学校、中学校から高校にも同様で、活かされないのです。
 それぞれが細分化され、それぞれがそれぞれに一番いい形で取っているだけであって、個人ベースでみると、個人はいろいろツールは使っているけれど、それぞれ中で閉じてしまっているというようなものなのです。
 それを右側のように、赤い部分のように協調領域を作っていかなくてはならないと考えています。これを全体のエコシステムと称されていますけれども、全体として活きる形で出来ないかなと考えています。
 つまり、学習データみたいなものは、どこまでやったか、どのような形でやったかという履歴が残っていて、教材がAからBに移行したとしても、すぐにできるようにできないかなと考えています。
 当然、それぞれの教材の強みをなくすということではなく、独自データと書いてありますけれども、それぞれ教材A、Bの更に細かいデータや独自のデータは持っていて、その強みを発揮してもらった方がいいわけで、協調領域と競争領域を分けていけるようなデータの基本的な取り扱いにしたいと考えています。
 これをやらないと左側の世界のままで、しかもそれがどこかの企業・団体ができていたとしても、公共教育としてデータをもらえますかというと、現在は数億円かかってしまいます。
 本来は、個人個人の学習データなのですが、どこか1社なり、大きなところが独占してしまうと、公共教育として使えなくなってしまうのです。
  みんなが使えるようにした上で、強みを発揮できるような世界を描いています。
 外国の状況ですが、このような形でデータの共通部分を用意しているのが、イングランド、アメリカ、オーストラリアではすでにできています。
 わが国でも、データ標準化というのを今年から検討を始め2020度中には確実に、この考え方を示したり、データ標準そのものを示していきたいと考えています。
 データについては、データ内容とデータ形式の部分がありまして、形式の部分では国際的にかなり普及しているものがあります。わざわざ日本独自のものをつくる必要はないのです。国際的に使われているものを使えばいいのです。例えば、どこかの自治体で、他の自治体とやり取りしたいことがある時、企画が違うとできないのです。コンセントの形が違うと機械が使えないようになるのと同じで、規格をあわせたほうがいいのです。
 これは日本から出ていく時も同じで、形式が違うとデータを取り出すことができないので、ここは一緒にした方がいいだろうということです。
 左側の内容の方は、各国まちまちでして、文脈や制度が違うので、各国が独自に提起しているものであって、文科省としてもこれからデータ処理を策定していきたいと思います。
 ここは、今までも校務系データでは、一定の蓄積があるところです。学習系データは、そもそも他の国では、バラバラのカリキュラムを何とか共通のカリキュラムにして、データ表示をしているのですが、日本の場合ね学習指導要領があるので、カギになるのは決まっているので、学習指導要領にコードを振っていけば解決できるのではないかと考えています。これは一つの例なのですが、学習指導要領で理科で「生物は・・・」と書いてありますが、ここの細分化された項目ににコードをふっていくのです。
 このコードをみんなが共通で使うことで、お互いにやり取りが可能になっていくでしょう。
 また、教材を使っていて、歴史を勉強していって、ここをもう少し詳しく勉強していきたいとなった時には、他にアクセスできるようなコンテンツを用意することになるのでしょうが、例えば世界の美術館や博物館、百科事典のコンテンツの提供者がアクセス権を持っていたら、お互いに進めることもできるようになるでしょう。さらに外部との接続も、学校間を超えても、家庭学習においても学校で把握できるわけです。
 今も同じ問題集を使っていれば可能ですけれども、教材や参考書が違っていても同じコードがあれば、お互いに表出していけるので、他の世界と接続が簡単に可能になるのです。
 このデータの標準化というのが、制度仕組みとどのように連動させていくかということについての1つです。
 ただこれは普通に使う時には出てこないバックデータなのです。これは、勝手に作動しているだけで、使う先生や児童にはデータは見ることすらないのです。
 我々がプログラムを見ることなく、アイホンやスマホを仕組みを知らなくても使っているわけで、見ることもないのですが、ただ共通の記号でやっていきましょうということです。

 標準化は、かなり進んでいくと思いますが、真ん中のスタディーログというものをどのようにためていくのかという部分が、今後の大きな論点となるところであります。
 いろいろな考え方があって、まだ結論が出ている部分ではないのですが、普通に公立の場合は、自治体ごとにサーバーで貯めていると思います。
 それが普通に学校教育だけでやっている場合はそれでいいのですが、学校教育を出た場合、また別の自治体、例えば小中学校から高校へ出た場合、高校は県立学校でしたら、自治体が別になります。また学校法人に行く場合、自分でない他者に情報を預けていくと、個人情報保護の観点で、簡単に動かせなくなると思います。
 そうでないやり方にしないと、情報は、個人が許諾した範囲で、流通できるような形にしていく方式を取っていかないといけないと考えています。
 一つのアイディアとして、PDS方式といわれるPersonal Data Store方式といって、このスタディーログの方の設定として個人の方を設定して、個人の許諾に基づいて、学校なり、民間事業者なり、大学に、必要な範囲でデータの活用をする。全てのデータがいくわけではないのです。
 通常の範囲では、児童・生徒が、例えば情報銀行といって、個人情報を売買に関する仕組みがありますけれども、自分の学習情報を売ってお金をもらっていいのか、本人許諾で、本人といっても一定年齢以下は保護者同意が必要となるのだと思いますが、いずれにしても親が子供の学習履歴情報、電子データを○○という会社に小銭を得るために、売買していいのかという論点が必ず出てくると思うのです。
 ただデータを流出させて活用することを考えると、どこかのサーバーに閉じ込めてしまうというやり方だとうまく作動しなくなると考えていますので、ここは、要、論点だと思います。
 このあたり、議論を深めていけたらいいなと思っています。
 最後に、制度、仕組みとして、文部科学省では、中央教育審議会で論議している議題がありまして、デジタルワールドに移行していく全体の仕組みですとか、法律や法整備の仕組みも全面的に見直していく必要があるのではないかと議論が続いていまして、これは2020年度の12月には答申が出ることになっています。それを踏まえて、法律の改正や仕組みの改正をものをしていこうと考えています。
 今日は、1つ目は、先端技術と学習方法、2つ目は制度仕組みというお話をさせていただきました。
 最後は、こういった仕組みを通じて、何をやっていきたいかということが大事でして、データがあるから使うのではないと冒頭にお伝えしましたが、結局のところ、大きな役割として、データを使って、人々のスキルを高めていって、しかも開発されていないスキル、今まで目に見えなかったものを含めて開発していって、well-beingという幸福度、満足度を高めていくのが、最終的な目標になると思います。当然、データ化できないところもありますし、人がどうしても必要になるところがあると思います。
 例えば、やる気を出させたり、ほめてもらったりというのは、機械にやってもらうのはないと思います。いかにデータが優れて、頑張りましたと出たとしても、やっぱり自分は、この人と一緒に学習したいとか、こういうふうに言われてやる気になったというのは人でしかできないことです。
 今後は、教員はそちらに特化していくのだと思います。データは持ってやっていくという姿になっていくのだと思います。
 全国的な仕組みを構築している皆さんと議論していきたいと思います。